歴史的な洋館「九段ハウス」の古びた部屋に、沈みゆく陽光がゆっくりと差し込んでいく。柔らかな陰影、遠くで揺れる木々の気配。この静謐な空間に、かつて世界の巨大フェスでオーディエンスを揺らし続けた音楽家が座っていることに、少しの違和感と、妙な必然性が同時に漂っていた。この日は九段ハウスで定期開催される音楽イベント「Artscape meets Sound」のDJ&オーガナイザーとして田中は音楽を奏でる。
FPM(Fantastic Plastic Machine)として、90年代後半からダンスミュージックの最前線を走り続けてきたDJで音楽プロデューサーの田中知之。2025年には活動30周年を迎えた。華やかなクラブカルチャーの象徴であり、世界中のパーティーピープルを熱狂させてきた彼が、今、驚くほど静かな場所に立っている。そんな田中にまず質問してみた。
―ファッションの世界においては「クワイエット・ラグジュアリー」というスタイルが時代の潮流となっています。ブランドロゴは要らない。過剰なデザインよりもシンプルで、飽きの来ないものを、という流れですが、それは音楽の世界においてもムーブメントとなり得るでしょうか?いわゆる「クワイエット・ミュージック」。
「音楽と静けさは特にDJがパフォーマンスするダンス・ミュージックでは相反するものと思われがちですが、ただ音を小さくする、消すというクワイエットではなく“静寂なる音楽”というのはとても良く理解できますし、潮流となり得るでしょう」
「つまんない音楽なら、ない方がいい」
——極端な原点回帰
「これまで数えきれないほど音楽を作り、選び、奏でてきました。でも今は、極論を言えば“つまんない音楽なら、ない方がいい”という思いもありますね」
田中はそう言って、少しだけ笑った。その笑みは、諦念ではなく、むしろ研ぎ澄まされた確信に近い。
「例えば“自分の葬式で流すための音楽”。
静寂がふさわしい場所に、自分の最期の時に、
あえて音を置くとしたら何が正しいのか——
その問いに向き合っている感覚です」
“葬式”という言葉は重い。だが、田中が語るそれは、死の暗さではなく、むしろ“生の輪郭を確かめるための音”のように聞こえた。田中がそんな思いを抱き始めたのは2020年のコロナ・パンデミックの影響が大きいという。
「世界が静寂に包まれました。ライブはすべて中止となり、音楽は配信でしか人々に届けることができなくなった。その時『QUIET』という概念をとてもくっきりと意識しました。当然それが僕のその後の音楽活動でも影響してゆきました」
そんな中でコロナ・パンデミックが終息に向かう時、東京2020オリンピック閉開会式、同パラリンピック開会式の音楽監督という大きな仕事のオファーが届く。
「東京オリンピックのような巨大な仕事に関わったことも大きかった。あの巨大な喧騒の中に巻き込まれたからこそ、逆に自分はどんどん内側へと押し返された感覚でした」
歴史の静寂が染み付く洋館「九段ハウス」
巨大なうねりの中で、自分の“音”がどこにあるのか?その問いが、田中をさらに深い場所へと導いた。勿論田中は、巨大フェスの熱狂を否定するつもりはない。だが、そこには“翻訳”が必要になると言う。
「数万人の前で鳴らす音楽は、どうしてもストライクゾーンが狭まる。大衆との間に翻訳ソフトを入れるような感覚です。でも、聞き手が少なくなるほどエゴイスティックなプレイが許される。そこには覚悟が必要ですが、音をダイレクトに届けられる環境は、音楽家として何より恵まれている」
九段ハウスでの音楽イベントは小規模だが素晴らしい空間で、招待された限られたゲストだけ。それがまさに“ダイレクト”を可能にする。歴史の静寂が染み付いた空間が、音の力を自然と担保してくれる。
「この場所は、音のパワーを環境が保証してくれますね。音楽が“説明”を必要としない。そんな幸せな環境は滅多にないと実感しました」
震災、9.11、そしてコロナ
——「生かされてきた」記憶が音になる。
話題はやがて、彼のルーツである関西へと移る。阪神・淡路大震災の直前、当時雑誌編集者だった田中は取材で神戸の街を歩き回り、地図を作る仕事をしていた。そして運命の1995年1月17日早朝。田中は京都で仲間の音楽家と徹夜で音楽を作り続けていた。
「僕が取材した直後に消えてしまった店も多い。人生観が変わりました。あの地震が起こった瞬間、僕は自宅でFPMのデモテープを作っていたのですが、運命を感じましたね」
そして田中はこの年に上京して音楽活動をスタートした。さらに2001年9月11日。アメリカで起こった同時多発テロ。田中は本来ならまさにこの日、ニューヨーク・ワールドトレードセンター最上階でDJをする予定だったが、偶然のスケジュール変更で難を逃れた。
「震災、テロ、そしてコロナ。すべての経験がグラデーションのように今の音楽性に繋がっている。生かされているという感覚が、より純粋な表現へ向かわせる気がします」
田中の語り口は淡々としている。だが、その奥には、言葉にしきれない重さと透明さが同居していた。現在、田中は日本各地で限られた人数を対象としたエクスペリメンタルな試みを続けている。そして今年10月、田中は京都・大原の山荘を舞台にして開催される音楽フェス「Wonder fruit」のメインDJを務めることが決まった。
―タイで毎年開催される世界的フェス「Wonder fruit」の日本版が今年10月に京都・大原で開催されますが、どのようなフェスになると思いますか?また田中さんはどんな音楽を奏でたいですか?
「まだ、詳細は決まっていないのですが、大規模なフェスではなく限られたゲストが参加できる小規模だけどサスティナブルなフェスになると聞いています。そんな空間でどんな音楽がふさわしいか?まだまだ考え中です。この九段ハウスでのイベントも手応えを探っています。大きく育てることだけがフェスの正解じゃない。内省的な音楽がどこまで人に響くのか——それを試すのは怖いですね。でも、だからこそストレートにやってみたい」
久保田麻琴さんの演奏
京都の深い森の湿度、九段ハウスの静謐な空気。それらの“環境”が、田中の音楽に新たな層を与えている。
「土地が持つ力に音を委ねる。そこでは、音楽で何かを説明したり、無理に盛り上げたりする必要はないのかもしれませんね」
音楽は、本来「静寂」から最も遠い場所にある。しかし、田中氏は今、あえて「沈黙にアゲインストする音楽」を追求している。コロナ禍でパーティーという主戦場を失い、内省を深める中で辿り着いた一つの極致。それは、「自分の葬式で流れるための音楽」を今から作るという思いに通じる。
「誰にも邪魔されず、本来なら静寂でいい場所に、もし音楽が介在するとしたら何がふさわしいのか。それを真剣に考え始めました」
数万人を熱狂させるフェスの高揚感を否定はしない。しかし、そこに「自分」がいる違和感も拭えなかった。巨大フェス=大衆との間に「翻訳ソフト」を挟み、ストライクゾーンを狭める作業。 エゴイスティックな創造性が許される反面、圧倒的な芸術性が問われる真剣勝負。田中氏は今、後者の「ガチ」な世界に賭けている。たとえ聴き手が一人であっても、ダイレクトに魂へ届く環境。そこで鳴らされる音こそが、今の彼にとっての真実である。
静寂に近い音楽が、私たちをどこへ連れていくのか?狂騒の時代を経て、田中知之が奏でる音楽は、爆音よりも雄弁で、沈黙よりも深淵だ。
「音楽は、沈黙に対してアゲインストする存在でありたい。静寂の中に、ほんの少しだけ音を置く。その行為が、今の自分にとっての闘いです」
九段ハウスの一室に、再び静寂が戻る。その静けさは、決して空虚ではない。むしろ、これから鳴らされる音の気配で満ちていた。