東京メトロ九段下駅から徒歩一分。「靖国神社」に面した都心の喧騒を背に門をくぐると、そこには時代を超えた静けさが漂う。
現在「九段ハウス(KudanHouse)」と呼ばれる洋館は、1927年(昭和2年)、新潟の実業家・山口萬吉の私邸として建てられた歴史的建造物である。構造設計には「耐震構造の父」内藤多仲、意匠には木子七郎、今井兼次、吉田鐵郎といった名匠が名を連ね、スパニッシュ様式を基調とした優雅な邸宅として完成した。アーチやスパニッシュ瓦、半屋外空間が織りなす構成は、四季の移ろいを柔らかく受け止め、今も独特の佇まいを保ち続けている。
山口は建築のみならず家具や建具にも強い美意識を持ち、和室を除く多くの調度を鳩山一郎邸を手掛けた梶田恵に依頼した。その制作費は建築費に匹敵したと伝わる。1945年の東京大空襲では周囲が焼失する中、この邸宅だけが奇跡的に戦災を免れ、建設当時の姿をほぼそのまま残した希少な存在となった。2018年には登録有形文化財に指定されている。
この邸宅が再び光を帯びたのは2016年のこと。東邦レオ代表取締役社長・吉川稔が散歩の途中で偶然この洋館と出会い、当時空き家だった洋館を「なんとかして次世代に残したい」と強く心を動かされたことがすべての始まりだった。
吉川が働きかけて、東邦レオ、東京急行電鉄(現・東急)、竹中工務店の三社が共同で所有者から建物を借り受け、保存再生プロジェクトが動き出す。運営は東邦レオグループの<NI-WA>が担い、歴史建築の保存と現代的価値創造を両立させる試みが始まった。
歴史と現代の創造性が交差する静謐な空間
吉川が九段ハウスに見出したのは、単なる不動産価値ではない。1965年創業の東邦レオは緑化事業の大手でありながら一般認知は高くない。吉川は自社の世界観を体現する“旗艦店”をつくるべきだと考えた。旗艦店とは売上を追う場所ではなく、「企業の思想を発信する場」である。彼が掲げたテーマは、持続可能性、エコロジー、そして日本の美意識。歴史ある建物と庭を蘇らせることこそ、東邦レオの創造性と未来への姿勢を示す最良の舞台になると確信した。
邸宅の庭には、樹齢200年近い老木が4本残されていた。区からは倒木の危険を理由に伐採を勧められていたが、東邦レオの樹木医は「蘇生できる」と診断する。吉川は「木も残す」と所有者に約束したが、長年“木は残せない”と言われ続けてきた所有者には信じがたい提案だったという。
しかし、老木は息を吹き返した。特別な栄養剤を与えたわけではない。「大事にされていると植物は応えるのだと思います」と吉川は語る。人が住まなくなれば家が傷むように、植物もまた人の気配を感じ取る──そんな自然観が九段ハウスの再生を支えている。
改修工事は設備面が中心で、意匠は可能な限りオリジナルを尊重した。寄木細工の床を守るため、利用者は玄関で靴を脱ぐ。日々の清掃や庭の手入れは東邦レオの社員が自ら行い、その丁寧な姿勢は訪れる人々の所作にも自然と伝わっていく。
再生後に新たに加わった数少ない要素のひとつが日本庭園である。若手庭師に機会を与えたいという思いから作庭されたもので、庭師の「日本庭園は主の鏡」という言葉は吉川の胸に深く刻まれた。庭の状態は主の品格を映す──その思想は九段ハウス全体の姿勢とも重なる。
九段ハウスは看板を掲げず、運営企業のロゴも出さない。「企業が顔を出すのは品がない」という吉川の美意識によるものだ。稼働率は20%以下に抑え、短期的な収益よりも建物の保存と地域との調和を優先する。
世界的なラグジュアリー・ブランドが
日本で認めた数少ない場所。
「九段ハウス」のオープニングを飾ったのはルイ・ヴィトン。世界的デザイナーによる「レ・プティ・ノマド」コレクションの日本初披露が行われ、歴史建築と現代デザインの対話が象徴的な幕開けとなった。世界的なラグジュアリー・ブランドが日本で認めた数少ない場所、それが「九段ハウス」だった。
現在の九段ハウスは、国内外のクリエイター、企業家、研究者が集い、新しい価値観や創造的な対話が生まれる場として機能している。歴史的建築の静けさと、現代の知性が交差する空間。イベント、オフサイト、文化プログラム、プライベートダイニングなど、多様な活動がここから生まれている。九段ハウスは、「1927年の名建築」と「現代の創造性」が響き合う、東京でも類を見ない文化的拠点である。
その存在は、歴史を守ることと未来を創ることが矛盾しないことを静かに証明し続けている。
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